2013年

5月

11日

本田宗一郎に見るダイバーシティ

2013年5月13日(月曜日)

ビジネスの現場において、国籍、民族、宗教、性別、年齢、学歴などを超越して、多様な人たちがビジネスに参加することが最終的にその企業の成長に寄与することが理解され、大企業において、特に人事の採用から配置・評価・報酬そしてボードメンバーの選定に至るまで浸透してきています。

アメリカやヨーロッパの大企業においては、特に顕著であり、多様なところから最も優秀な人材が登用されることで、さらなるグローバルレベルでの多様な優秀な人材が集まるという循環をつくっています。

この多様性を受け入れることは、ヨーロッパやアメリカのような他国と地続きの国または移民で成り立っている国、世界を股にかけて帝国を築いてきた国にとっては、長い歴史を基に、コミュニケーションする基盤があったことで順調に進んでいるようです。

日本企業でも、一部の大企業などはその方向に進んでいることも事実です。

しかし日本の大部分の企業では、鎖国が解放されてからまだ150年も経っていないくらいで、島国で言語は独特という環境からなかなかダイバーシティを広く受け止める土壌が整っていません。

しかし、国内市場が縮小するという将来構図を前提とすれば、グローバルなビジネスをやらなければ、全体的には一人あたりの取り分は着実に減っていきます。

グローバルにビジネスで戦っていくためには、ダイバーシティは必須であり必要条件となっいます。

そんな日本の中で、しかも、戦前に町の自動車修理工場から起ち上げた本田技研の創始者本田宗一郎は、そのダイバーシティの根本的なところを理解していたと思われます。

彼は『私の履歴書』のなかで次のようなことを言っています。

「私は自分と同じ性格の人とは組まないという信念を持っていた。自分と同じなら二人は必要ない。自分一人で大丈夫だ」

この考えのもと、彼は藤沢武夫というホンダの成長の両輪の片方を得たのでした。

また次のようなことも言っています。

「人材は広く求めるべきもので、親族に限っているようではその企業の伸びは止まってしまう」

このようなことは信念がなければいえるものではありません。どうしたって利益がたくさん出ている大企業の社長ともなれば、親族に渡したいという心が芽生えるのは人情というものです。

このような現代に通じるダイバーシティの精神を持っていたからこそ、本田はグローバル企業となり、世界各国で愛される製品を作り続けてきたのだと思います。

ダイバーシティ経営は、企業の大小にかかわらず企業のトップの言動一致によって可能であるということが、町の自動車修理業の社長の本田宗一郎から学ぶことができます。

つまり、自分というものを大切にするということは、環境の違う人たちもまた大切にされなければならないという哲学的信条とロジックが身についているということを理解していたと思います。

そして、本田宗一郎は自分の夢を追いかけ、ドリーム号を創り、F1を制し、日本の産業界にグローバルで活躍することが可能であることを見せてくれました。

自分の夢を大切にする人は、人の夢も大切にする。このことが、ダイバーシティ人材戦略の根本にあることが重要だと思うのです。