小保方さん報道と情報処理

2014年4月20日(日曜日)

STAP細胞を発見したとして一躍時の人となった小保方晴子さんは、

若い女性で理系の女子という、今後の日本にとって重要な役割を期待されるキャラクターであることも手伝って、日本国中盛り上がり、政府も若い女性の活躍を応援するというスタンスから、首相自ら賞賛するという事態までになりました。

しかし、論文の信ぴょう性が疑われたことから、一転していろいろなメディアから叩かれはじめ、理化学研究所から論文の撤回を求められるという事態になってしましました。

世論も、2つに分かれて「味方」か「敵」かのような極端な論調になっているように思います。

つい最近では、小学校の教諭が新入生の担任であるにもかかわらず、自分の子供の高校の入学式に出席するために、自分の担当の入学式に出席しなかったことに対して、教育評論家がブログで批判したところブログ炎上という事態になりました。

そのしばらく前には、奇跡の盲目の作曲家という方が、実は、ゴーストライターがいて自らは作曲をしておらず、耳が聞こえないというのも嘘であるというような話になり、謝罪記者会見を開くということになりました。

この3つの出来事で私がコンサルタントとして思うことを少しお話ししたいと思います。

この3つの出来事に対するメディアや世論を見ていると、物事を白か黒かのどちらかに分けないといけないような風潮があるのではないかと思います。

わたしは、このような事態をオセロ型社会と名付けました。

なぜ、このような事態になっているのかを考えたときに、世の中のスピードはどんどん速くなっていることと、情報量が莫大になっていることが関係しているのではないというのが私の仮説です。

人の情報処理能力は限られていますが、情報が氾濫していろいろな情報がテレビ・ラジオ・新聞・雑誌のようなメディアだけでなく、ツイッターやフェイスブックのようなSNS、そしてインターネット上に存在するブログなども加わって加速度的に情報が氾濫しています。そして、現代というスピードの速さのなかで判断をしていくときに、じっくりと情報を整理し多面的にひとつのことを見て、そして選りすぐった情報の中からその事象を自分なりに判断するというプロセスが苦痛になってしまっているのではないかと思っています。

そうなると、人間は、表面的で、ある角度からだけ強く印象に残った情報を短絡的に支持してしまうという傾向があるのではないかと思います。そして、白か黒かという極端な議論に発展してしまうのではないでしょうか。メディアはセンセーショナルで極端な見出しを付けたほうが売れるという事実もあります。そして、一見そのような判断は、とても楽でスッキリするというような側面を持っています。

でも、先ほども触れたように、世の中に起こっていることでまったくの白もまったくの黒というものはなく、複雑な色彩を持つものであるということを再認識する必要があると思います。

また、このようなオセロゲーム的な判断が、外交問題にもなってきますととても怖いことになると思います。

味方以外は敵であるという発想はとても危険です。

経済自体は、すでにグローバル化しておりトレードオフの関係の中で微妙なやりとりをしながら繋がりを持っています。しかし、外向になるとその微妙さを考えるよりも、どちらかというとナショナリズムという抽象的な概念が頭をもたげ極端な発想になりがちですし、論理的よりも感情的なものになりがちです。

あふれる情報を、世界平和という軸を持って重要な情報を整理し、そして極論に走らず双方向からものごとを見るというスキルが求められる時代となっています。

ここでわかることは、

1.情報があればあるほど、正しい判断ができるというものではな

  い

2.溢れる情報から取捨選択するための、理念や目的が必要である

3.一面的ではなく多面的に物事を見る必要がある

情報量は、インターネットの進化によって加速度的に増加していくことが予想されます。その中で、いろいろな判断をしなければならない現代人の情報処理が短絡的にならないことを祈っています。