不平等と格差社会は違うもの

2019年2月28日(木曜日)

日本の所得について「所得格差が拡大しているので不平等だ」という意見が聞かれますが、これはちょっと違うのではないかと思っています。

格差社会がいいかいという問題についていいといっているのではないのですが、「格差社会の原因は平等ではないからだ」という論理が間違っているということを申し上げたいのです。

実は、日本は総中流といわれた高度成長期と比較して、平等か不平等かといわれたら、平等な競争ができるような環境に変化してきています。

ということは、平等な競争環境が、格差のない所得レベルを実現するのではなく、むしろ、平等な競争環境になればなるほど、個人間の努力・能力・実行力・スピードの差で大きな差が生まれてしまう時代になっているということだと思うのです。

経済がデジタル時代のように高度化すればするほど、個人間の差が得所得の格差を指数関数的に増大させていることになります。

しかし、個人間の差が不平等ではだめで、それを平等にしなければならいというのは、これはむしろ経済だけでなく社会として成立しなくなります。

従って、この状況の中で所得格差をなくすということが重要になってくるのであれば、むしろ平等ではなくなんらかの不平等を設定することが必要になります。

実際、累進課税制度というのは、所得が大きくなればなるほど課税率が上がるので、稼いでいる人ほど率も額も大きくなるわけです。

例えば、同じ率だとしても所得税10%とした場合

年収100万円の人は、税金10万円

年収5000万円の人は、税金500万円

と、所得税率は同じでも所得税額は50倍になっています。

更に、これが率も上がるのですからその格差はさらに広がることになります。

もちろん、この累進課税制度は「限界効用逓減」の法則により、それぞれの所得に対しての個人の負担分を考慮して世界中で採用されている歴史のあるもですからいいのですが、物理的には不平等なものです。

つまり、格差があるから不平等だという意見は、平等・不平等という前提条件が整えば、格差はなくなるという主張になるわけですが、格差を生んでいるのは平等・不平等という前提条件ではなく、個人のいろいろな能力・努力などの差であることをきちんと理解した上で議論すべきものだと思います。GAFAなどの規制問題もあり、テクノロジーが高度化していることから富がそれらハイテク企業に集中しやすくなっており、罰則を科すだけではなく、国を超えたルールづくりと体系的にバランスさせる機能が必要になっていると思います。